情けは人のためならずの誤用について
「情けは人のためならず」の誤用について、文化庁が下記のページで解説しています。
文化庁月報 > 連載「言葉のQ&A」
正:人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる
誤:人に情けを掛けてやることは、結局はその人ためにならない
文化庁の調査によると、50代以下では正解した人より誤答した人の割合の方が高いんだとか。
ことわざに違和感
「人に情けを掛けておくと、巡り巡って結局は自分のためになる」
このことわざ、少し違和感がありませんか?
巡り巡って結局は自分のために……。
自分のためになるんだからと、見返りを求めているようにも読み取れますよね。
そんな見返りを求めるような、損得勘定のことわざってありますかね?
私はそこが不思議に思いました。
ということで、調べてみました。
情けは人のためならずの由来
由来は、鎌倉時代の軍記物語「曽我物語」という説があります。
「情けは人の為ならず、巡り巡って己が身のため」という記述があり、やはり語源を見ても自分のためになるということが書かれています。
しかしどうやら「巡り巡って」というのがポイントらしくて、直接のお礼は期待しておらず、いつか良いことがあるかもしれないという期待が込められているようです。
相手からの見返りというよりは、神様からの見返りを要求している感じでしょうか?
いつか自分に返ってくるんだから、人に良いことをしなさい。
って、なんだか好きになれないことわざです。
新渡戸稲造の名言
大正時代に書かれた新渡戸稲造の著書「一日一言」に、「情けは人のためならず」のフレーズが入った詩があります。
武士道を説いた著書だそうです。
新渡戸稲造といえば、5千円札に描かれたことがある人物ですね。
施せし情は 人の為ならず おのがこころの 慰めと知れ
我れ人にかけし恵は忘れても ひとの恩をば 長く忘るな
これは、
情けをかけるのは人のためではなく、自分の心を癒すもの。
人にかけた恵みは忘れても、人にかけられた恩は忘れてはならない。
「慰め」が現代語訳だと何になるのか曖昧ですが、自分の気持ちを満たすものであると考えられます。
曽我物語と比較して、見返り要素が薄くなった気がします。
人に情けをかけることは、自分の気持ちが軽くなるものであり、情けをかけた後は忘れてしまってもいい。
ただし、人にかけられた情けは忘れてはいけない。
新渡戸稲造氏、良いこと言いますね。
さすが5千円札の人!
今まで何をした人かあまり分かってなかったけど、ちょっと好きになりました。
年代的には曽我物語の方が先ですので、言葉の由来には当たりませんが、こちらの詩の方を普及させたいと思いました。
内容はほぼ同じですが、こちらの方が心持が好きです。
情けは人の為ならず、の続き。
ぜひ覚えてみてください。