アリとキリギリスのあらすじ
アリとキリギリスというイソップ童話は、多くの子供たちがその絵本や紙芝居を読んで育ってきたかと思います。
ある夏の日、アリは冬に備えて食料を巣に運び、キリギリスはバイオリンを弾いたり歌いながら楽しく過ごしていた。
キリギリスは夏に遊ばないアリを不思議に思って「なぜ遊ばないのか」を尋ねた。
アリは「今食料を蓄えなければ冬に困る」と答えせっせと働いた。
キリギリスはそれを馬鹿にした。
そして冬が来て、アリの言った通り食料はなくなり、キリギリスは飢えてしまう。
その後は、アリが食べ物を分けてくれたり、キリギリスは反省しながら死んでいったりと結末は何パターンかあります。
アリとキリギリスの教訓
昔から、この物語の教訓は「将来のために蓄えておかなければ、いざという時に非常に困る」ということで伝えられていました。
イマドキはその考え方も少し変化していて、「アリのように真面目に働いていてもつまらない。キリギリスのように遊ぶことも大事」と捻くれて考える人もいるようです。
しかし、どちらも間違っています。
アリとキリギリスの生態
アリは冬を越すために蓄えが必要です。
また女王アリのためにも食料を運ばなければなりません。
一方キリギリスは、初夏に成虫となり成虫の寿命はわずか2か月です。
食料を蓄えたところで、どのみち冬は越せないのです。
さらに、キリギリスというのは翻訳の際に「キリギリス」という虫に変換されただけで、原題は「アリとセミ」なのです。
セミの成虫の寿命はご存じの通り、キリギリスの2か月よりさらに短い約2週間。
蓄えたって何の意味もありません。
無駄に終わります。
アリとキリギリスの真実と本当の教訓
どう感じるかはそれぞれだと思いますが、私はこの物語の教訓は「自分の環境に合わせた生き方をすべき」だと思います。
アリにはアリに合った生活環境があり、キリギリス(セミ)にはキリギリスに合った生活環境があります。
安易に真似しても、それがプラスになるとは限りません。
先のことは誰にも分かりませんが、蓄えるにしろ遊ぶにしろ、自分の環境を見つめてから決めるのが重要です。
アリにとっての正論も、キリギリスにとっては邪論となってしまうのです。
おまけに……
更にもっと言うと、アリは弱った虫を食べてしまいます。
つまりこういうこと。
本当の結末は「アリは可哀そうなキリギリスに食料を分けてあげました」でもなければ「アリは『ホラ、蓄えておかないとダメだよって言ったでしょ』と言いました」でもなく、「アリは弱ったキリギリスを食べてしまいました」なのかもしれません。