日本語って難しい! 「嘘をつくな」と言いたいのに「嘘つけ」という理由
「嘘つけ」って、面白い言葉ですよね。
嘘をついてほしくないのに「嘘つけ」と、なぜ命令形なのでしょうか。
嘘つけというのは、相手への非難が隠されています。
「嘘だとわかっているんだぞ! それでも嘘を言うなら勝手にしろ!」という意味が込められているのです。
「馬鹿言え」というのも同じですね。
馬鹿を言いなさいという命令文ではなく、言えるもんなら言ってみなさいという挑発的な文なのです。
ところで、「嘘つけ」って最近あまり聞かなくなったと思うのですが……。
「嘘だ」と言う人が多くないですか?
若者は「嘘つけ」という言葉自体が馴染めず、白々しいと思って意識的に避けているのかもしれません。
さらに、現代人は省略語が好きです。
「嘘をつけるものならついてみろ」が省略されて「嘘つけ」となったわけですが、それが更に省略されて「嘘だ」になったのかもしれません。
結果的に難しかった「嘘つけ」が分かりやすい「嘘だ」に修正されたのかもしれませんね。
今後もこのように、言い回しが難しい日本語は淘汰されるのかもしれませんね。
賛否あるとは思いますが、日本語は変わりゆくものですから嘆くべきことではないと私は思います。
間違っている日本語としてよく例に出される言葉があります。
ファミレスで注文を受けたとき、「ハンバーグでよろしかったでしょうか?」「こちらハンバーグになります」
この違和感たっぷりの文章も、あと30年もすれば辞書に載る可能性だってあるのです。
間違っている日本語も、国民の大半が使うようになれば、それは正しい日本語になってしまうのです。
変な日本語に対して「これは変だ」と誰かが言い続けない限り、「変」という感覚が薄れてきてしまうのかもしれませんね。
SNSなどで「この日本語は変だ」と主張している人は、変な日本語が辞書に載ってしまうという未来の危機を、阻止しようとしているのかもしれません。