カテゴライズが好きな日本人
日本人はとかくカテゴライズ(分類わけ)が大好きです。
A型は几帳面、末っ子はわがまま、ゆとり世代、サバサバ系女子、草食系男子……ちょっと古いですかねw
良く言えば分類、悪く言えば「レッテル」のようなものを貼っていきます。
新しい分類を表す言葉は雑誌のキャッチコピーから生まれることが多く、短い言葉で興味を惹きつけ雑誌を手に取ってもらうために考えられたものなので、商売としては上手なのかもしれません。
一説では、このようにカテゴライズをするのは日本人特有だという意見があります。
確かに海外では、血液型のような血を取れば分かることは分類したとしても、その血で性格を判断するなんて不正確なことはしないかもしれないですね。
カテゴライズは進化の証
心理学も生物学も医学も、統計を使い傾向を見ることで様々な物事を分類しています。
鼻水が出て熱が出たから風邪かもしれない
女性で身長が158センチなら衣服はMサイズ
小型犬だから家で飼いやすい
こんな事だって、人々が分類した結果を活用しているのです。
もちろん例外はあります。
身長158センチだって体重が100キロあればMサイズは入らないし、小型犬でも気性が荒い犬種もいます。
ですが、そうやって細かく分類していくことにより人々の生活は豊かになります。
これはいわば進化なのです。
レッテル貼りは防衛本能
人に対して分類しレッテルを貼ることは、全く無意味とは言えません。
「ひざ下のワンピースにカーディガンを羽織った女性」と聞いてどんな人物を思い浮かべましたか?
少なくとも「男勝りな女性」は思い浮かべませんよね?
「自分の体形以上に大きな服を着て、金のネックレスを付けている男性」と聞いて、どんな人物を思い浮かべましたか?
私は「車内で大音量で音楽をかけて音漏れさせている男性と同類」だと思いました。
見た目だけなのに、なんとなく性格まで分かったような気になりますよね。
そして、自分が勝手に決めつけた性格によって、友達になれそうかそうでないかを判断することもありますよね。
話してみたら“意外と”いい人ってことはもちろんありますが、話すまでに至らないのではないでしょうか?
レッテルを貼るのは「もしかしたら気が合うかもしれない」という可能性を狭める一方で、無意識に自分の居心地がいい場所を探したり、合わなそうな人とは関わらないようにする防御反応として役立っているかもしれません。
自分の中で思うだけなら自由
相手を勝手にカテゴライズして「あなたはこういう人だよね!」と相手に伝えるのは、人から嫌われる行為だと私は思います。
しかし、自分の中でカテゴライズして「この人とはこういう風に関わっていこう」と判断することは自由なのではないでしょうか。
思い込みで損することもありますが、今までの経験から分類したことは、あながち間違っていないような気がします。