「この人のこと、なんとなく分かる」と感じる不思議
好きな芸能人やインフルエンサーの投稿を見ていると、いつの間にか「この人ってこういう性格だよね」と思うことがあります。
話し方のクセも分かる。好きなものも知っている。最近どんなことを考えているのかも、なんとなく想像できる。
もちろん、実際には一度も会ったことがないかもしれません。
向こうはこちらの存在すら知らない。
それなのに、テレビや動画を見ていると「久しぶりに会った」ような感覚になることがあります。
新しい動画が投稿されると、「お、更新された」と嬉しくなる。
好きな人がテレビに出ていると、自分の知っている人が出演しているような気持ちになる。
そして、何かつらいことがあった日に、その人の動画や配信を見ると少し安心する。
これは決して珍しいことではありません。
心理学やメディア研究では、こうした実際には直接的な関係がない相手に、一方的な親しさやつながりを感じる関係を「パラソーシャル関係」と呼びます。
少し難しい言葉ですが、感覚としては「会ったことはないのに、なぜか知っている人のように感じる」というものです。
毎日見ていると、「知り合い」のような感覚が生まれてくる
たとえば、毎朝同じ時間にニュース番組を見ているとします。
最初は、ただ「このアナウンサーをよく見るな」くらいだったのに、何カ月も見ていると、話し方や表情に慣れてきます。
「今日はちょっと疲れて見えるな」
「この人、こういう話題になると嬉しそうだな」
そんなことまで分かるようになってくる。
もちろん、本当に相手のことを深く知っているわけではありません。
それでも、何度も同じ人を見ることで、私たちの中には少しずつ「この人はこういう人」というイメージができていきます。
SNSや動画配信では、この感覚がさらに強くなりやすい特徴があります。
芸能人やインフルエンサーが、仕事の話だけではなく、朝起きたこと、食べたもの、最近買ったもの、失敗したこと、悩んでいることなどを発信するからです。
本来なら知ることのできない「日常の一部」まで見えてくる。
その積み重ねによって、画面の向こうの人がだんだん身近に感じられていきます。
SNSは「知っているつもり」を作りやすい
昔の芸能人といえば、テレビや雑誌で見る存在でした。
こちらから見ることはできても、相手の日常を毎日のように知ることは難しかったでしょう。
ところがSNSでは、本人が直接投稿します。
「今日はこんな仕事でした」
「今からご飯を食べます」
「最近これにハマっています」
「今日はちょっと落ち込んでいます」
こうした投稿が毎日のように流れてくると、こちらは一方的に相手の生活を知ることになります。
ここで面白いのは、相手について知っている情報が増えるほど、「その人を知っている」という感覚も強くなりやすいことです。
たとえば、友達の好きな食べ物や口癖を知っていれば、その人を「よく知っている」と感じます。
同じように、推しの好きな食べ物や苦手なこと、性格、趣味などをたくさん知っていると、実際の関係性とは別に「この人のことはかなり分かっている」と感じるようになります。
ただし、ここには一つ注意点があります。
私たちが知っているのは、あくまで相手が見せている部分です。
どれだけ投稿を見ていても、その人の人生すべてを知っているわけではありません。
「推しが自分のことを分かってくれる」と感じることもある
パラソーシャル関係が面白いのは、単に「自分が相手を知っている」という感覚だけではありません。
動画や配信を見ていると、「この人は自分の気持ちを分かってくれる」と感じることもあります。
たとえば、仕事で嫌なことがあった日に、好きなアーティストの言葉を聞く。
すると、「今の自分に言ってくれているみたい」と感じる。
もちろん、その言葉は自分だけに向けられたものではありません。
それでも、自分の状況に重ね合わせることで、まるで直接励ましてもらったような感覚になることがあります。
これは不思議なことではありません。
私たちは映画や小説の登場人物にも感情移入できます。
実際には存在しない人物の言葉に励まされることさえあります。
それと同じように、画面を通して繰り返し接している相手にも、心理的なつながりを感じることがあるのです。
「推しがいると毎日が楽しい」のは、ただの気晴らしではない
推しの存在が生活の支えになっている人もいます。
「次のライブまで頑張ろう」
「新しい動画が出るまで仕事を頑張ろう」
「この人の活動を見るのが楽しみ」
こうした感覚は、単なる暇つぶしとして片づけられるものではありません。
毎日の中に楽しみがあると、単調な生活にも区切りが生まれます。
仕事が終わったら動画を見る。
週末になったら配信を見る。
新曲が出たら聴く。
イベントの日を楽しみにする。
こうした小さな楽しみが、日常のモチベーションになることがあります。
特に、現実の生活で人間関係や仕事に疲れているとき、「ただ好きなものを見る時間」が心の切り替えになることもあります。
だからといって「推しに依存している」とは限らない
「芸能人を身近に感じるなんて、思い込みなのでは?」
そう考える人もいるかもしれません。
確かに、相手との関係を現実の友人関係と同じものとして考えるのは違います。
でも、だからといって、その感情に意味がないわけでもありません。
好きな音楽を聴いて元気になる。
好きな映画を見て安心する。
お気に入りのキャラクターを見ると嬉しくなる。
人間は昔から、現実に直接関係のないものから感情的な支えを得てきました。
推しも、その一つとして考えることができます。
大切なのは、「推しがいること」ではなく、その存在によって自分の生活がどうなっているかです。
少し気をつけたいのは、「推しのために自分を削る」ようになったとき
好きな気持ちが強くなること自体は問題ではありません。
ただ、好きだからこそ無理をしてしまうことがあります。
生活費を圧迫するほどグッズを買う。
睡眠時間を削って配信を見る。
推しの活動を追えないと強い不安を感じる。
他のファンと比べて「自分はファンとして足りない」と思ってしまう。
こうなると、「推しから元気をもらっている」はずが、いつの間にか「推しのために疲れている」という状態になってしまいます。
本来、好きなものは自分の生活を豊かにするためのものです。
推し活によって自分の生活が苦しくなっているなら、一度距離や使う時間、お金について考えてみてもいいでしょう。
「身近に感じる」と「本当に身近な人」は別もの
パラソーシャル関係について考えるとき、覚えておきたいのがこの違いです。
推しを身近に感じることと、その人と実際に親しいことは別です。
こちらが相手のことをたくさん知っていても、相手はこちらを知りません。
だからこそ、SNSや動画で感じる親しさを「現実の人間関係」と完全に同じものとして考えないことが大切です。
一方で、その親しさを感じたこと自体を否定する必要もありません。
「会ったこともないのに、なんでこんなに好きなんだろう」と不思議に思うかもしれません。
でも、考えてみれば、私たちは直接会ったことのない人の言葉や作品に何度も心を動かされています。
毎日のように見て、声を聞いて、考え方に触れていれば、親しみを感じるのはそれほど不思議なことではないのです。
「推し」は、画面の向こうにいるのに、自分の日常の中にいる
朝、スマホを開いて推しの投稿を見る。
仕事の休憩中に動画を見る。
帰宅してからライブ配信を見る。
休日には過去の作品を見る。
そうやって毎日の生活の中に繰り返し登場することで、画面の向こうの人が「日常の一部」になっていきます。
だから、推しの活動休止が発表されたときに寂しく感じたり、好きな人が結婚したときに複雑な気持ちになったりすることもあります。
「自分には関係ない人なのだから、何も感じないはず」と考える必要はありません。
自分の生活の中で大きな存在になっていたのなら、そのニュースによって感情が動くのは自然なことです。
推しを好きになることは、自分の心の動きを知ることでもある
「なぜこの人にこんなに惹かれるんだろう」と考えてみると、自分自身について意外なことが分かる場合があります。
その人の努力する姿に惹かれるなら、自分も「頑張っている人になりたい」のかもしれません。
自由に生きる姿に惹かれるなら、自分も今より自由を求めているのかもしれません。
優しい言葉に安心するなら、今の自分が誰かの優しさを必要としているのかもしれません。
つまり、推しへの「好き」という感情は、その人の魅力だけでなく、自分が大切にしている価値観や、今ほしいものを映していることがあります。
「なんでこんなに好きなんだろう」と考えることは、実は「自分は何を大切にしているんだろう」と考えることにもつながります。
会ったことのない人なのに、なぜか身近に感じる。
それは、少し不思議なことに思えるかもしれません。
でも、画面越しに何度も同じ人を見て、その言葉や考え方に触れているうちに、私たちの心の中には、その人についてのイメージが少しずつ積み重なっていきます。
その積み重ねが、「知っている」「親しい」「応援したい」という感覚につながっていく。
それがパラソーシャル関係と呼ばれる現象の一つです。
推しは、現実の友達とは違います。
でも、だからといって、そこで感じる喜びや安心まで偽物になるわけではありません。
大切なのは、推しに人生を預けることではなく、推しからもらった楽しさや元気を、自分の人生に持ち帰ること。
そう考えると、「推しがいる」ということは、単に誰かを好きになる以上に、自分の日常を少し豊かにしてくれるものなのかもしれません。